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鑑賞034「掃」(TB167まで)








掃いたって掃いたってまだ落ちてくる見あげたかたちのままでまみれる
  青野ことり

私みたいになんとか言葉を尽くそうと説明的に一首をこねあげて、
それでいて何を言ってるのか分からない歌ばかり詠む凡歌人もいれば、
このようにシンプルでありながら何が語られているのか明確に掴める
良作を詠む歌人もいらっしゃるわけです。

このような歌のどこに私が注目するかといえば、
作者(作中主体)の姿がクリアに我々の中に像を結ぶ点に他ならない。
(く)というお題を与えられて、その言葉の本質を捉え、
真っ直ぐに一首に反映させている。

<題詠>にもいろいろ種類があって、出された題をテーマとして詠むものもあれば、
題詠ブログのように「当該文字列を読み込みさえすればいい」というルールのものもある。
(決まった評者・選者がいるわけじゃないから、テーマ詠にするのは必然的に難しいわけで。)

そうなると私なんかはお題をちょっと脇に寄せて、小道具的に使うことが多いわけです。
詠むときの自由度を広げるために。
もちろんそれが悪いわけじゃないし、これからもそうすると思うんですが、
でも一つのお題に沿ってたくさんの歌を拝見しているとき、
お題とガップリ四つに組んだ一首に出会うと気持ちよさを感じるんですよね。

残り時間すくないけど私もがんばろ・・・。


」の秀歌たち。


野州
 遺産分けを争いしより掃苔のひさしくなりて彼岸花赤し

たえなかすず
 掃除機の音に紛れて信仰のごとく別れの理由を言いぬ

行方祐美
 掃除魚の色彩を聞きゐつひおもての一条に走るかもめ通りに

牛 隆佑
 シンデレラ(掃除は僕が)宮殿に早く行きなよすべてを置いて

晴流奏
 名も知らぬ君を迎える為にする掃除の後の部屋の静寂

理宇
 つっかけで歩くと犬も立ち上がる(掃除をするとよく知っている)


(敬称略)

034:掃(理阿弥)








栗鼠(りす)の尾が山査子(さんざし)の葉を掃きゆきぬ係累なしと記す秋なり

鑑賞033「奇跡」(TB172まで)

生きるが奇跡、出逢った奇跡、この愛は奇跡!
いっぱいの奇跡でお腹がはちきれそう。
誰もが奇跡と歌うのならば、それはもう奇跡じゃないんじゃねーの、ってことと、
それが「わたし」に確かに起こったのだと詠みたいならば、
一般論的な陳腐さをどう回避するか、ということはやっぱり考えないと、
と思うのです。

この星であなたと私が出逢った奇跡、なんて
小説でも映画でも短歌でも歌謡曲でも何万回と繰り返されてることなんで、
無謀にもあえてそこで勝負するのなら、「わたし」ならではの、
誰もしたことがない表現に絶対してやるぞって、そういう気概がないと、ね。










奇跡など無限であって零である改札前の君待ちの群れ
  夏樹かのこ
どうでしょう、この突き放し方。
群れの一人一人にとってはそれぞれに大切な奇跡。
そしてそのすべてが実はありふれたものだという視線。

こんなふうに「奇跡の素晴らしさ」に寄り添いすぎず、客観視できるというのが、
よい歌人がもつ特質のひとつなのではないでしょうか。


その他にも、程よい距離感で読まれているなぁ、と感じたお歌を
選ばせていただきました。

奇跡」の秀歌たち。


帯一鐘信
 踏み切りの角度で落ちて垂れ下がり奇跡を祈る姿になった

尾崎弘子
 青空に鳥を探せばろろろろと奇跡のやうに飛ぶヘリコプタ

雑食
 奇跡には「ぐうぜん」というかなを振るようなぼくですどうぞよろしく

じゃこ
 同じ本手に取り出逢う私達という奇跡のためのまちぶせ

久哲
 奇跡とはこの星ですがそれよりも風の先端ってどこだろう

我妻俊樹
 あの窓に奇跡のような夕焼けはひろった小菊が皿に似合うね

中村成志
 己が身に都合の良きが奇跡なりたとえば(なれ)の頬の染まりを

梳田碧
 「奇跡」とか恥ずかしいからこの俺に使わせるなよ五十嵐きよみ

ネコノカナエ
 奇跡とも奇跡でないとも言われたくないんだここで生きてることに


(敬称略)

033:奇跡(理阿弥)








立て看(たてかん)の<奇跡は成され…>その先を読ませず今日もバスは曲がりぬ

鑑賞032「町」(TB169まで)








黒毛和牛一頭曳きて首を垂れ孟夏の町を戮されに行く
  鳥羽省三
手をかけて育てた牛を、処分されるためだけに連れてゆく。
汚染を叫ばれながら牛は、処分されるために曳かれて歩く。

項垂れるのは牛も人も。
戮されるのは牛も人も。



」の秀歌たち。


tafots
 明け方の有楽町の地下道を二体の腐肉になって漂う

飯田彩乃
 夕暮れも心細さのしまうまも皆あの町にくるんで捨てた

横雲
 連れ立ちて寺町を行く春の宵憾みの裾を翻す風

千束
 「嘘をつく人ほど影が濃くなるよ」ささやきに足を止めた町角

新井蜜
 我が町に住む三人の叔母達が夜中に集ひ煮るあづき粥

湯山昌樹
 少しずつ人減りてゆくわが町の夜を走ればシャッターの鳴る

富田林薫
 こんなにもさびれた町のすみっこに赤いポストが笑顔のようだ

ウクレレ
 きみの住む町の名前がカーナビに表示されれば揺れる菜の花

久哲
 それぞれの町の燕尾をくちびるにふくめばあふれ出す『れあめたる』

中村成志
 向町西町分けし路地端にヒメツルソバのうすきひろごり


(敬称略)

032:町(理阿弥)








名画座を出づれば町に雪化粧昭和の終り知らず歩きぬ

鑑賞031「電」(TB168まで)

選のみです。


」の秀歌たち。


みずき
 電飾の点る季節の端にゐてナショナリズムをふと思ひをり

牛 隆佑
 僕だって電車に乗ればどこへでも行けるよこれは春の歌です

A.I
 電波塔のいちばん高いとこにあるネジを回した人がいるのよ

さくらこ
 温めていたら繋がる電脳の小箱は雛のように震える

南葦太
 だとしても世界は回る 味噌汁に雪のよう降り注ぐ電磁波

伊倉ほたる
 停電が右と左に分けられて紅い椿はふしだらに咲く

揚巻
 それはもう(ひでり)のようにただひとり送電線を揺らすさびしさ

市川周
 冷房を鳩発電でまかないぬ(河原の鳩の首の上げ下げ)

浅見塔子
 空を割る電信柱けっとばす少年の背はあんなに低い

藤野唯
 あなたにはわかって欲しかったんだなあ電話を閉じたらなみだが出ました

黒崎聡美
 細長い電信柱に夏がきてわたしの体は影になってゆく


(敬称略)

031:電(理阿弥)








National のエルの欠けたる電器屋の灯りはさみし村ぞ老ゆめる

鑑賞030「遅」(TB174まで)

よいお歌が多かったと思えるこのお題。
やはり現代人は遅れるってことに敏感なんでしょうね。
(日本も近代化するまでは、比較的時間にルーズな国柄だったそうな)

「遅れ」って、待つ側の期待感と待たせる側の焦燥感をミックスした
<不在>に他ならないんですよね。
その人がずっと「遅れ」つづければ、存在しないのと同じになっていく。
あの延々と引き伸ばされる時間感・・・
それを著したベケットはやっぱり天才なのだなー、と改めて思うのでした。

などと言いながら、今回は遅刻と関係ないお歌を一首、採らせていただきました。











花薄荷うすむらさきに揺るる暮れこの世の時計すべて遅れよ
  萱野芙蓉

見ている情景が美しいことの表現方法って様々ありますが、
時間よ遅くなってしまえ、とここでは言ってるんですね。
遅れちゃえばいいとかじゃなくて、命令形で言い切ってるのが、
主体の気持ちの強さが出てて好きなところです。

お題の扱いが巧みで、定型の気持ち良いシンプルな一首でした。

________________________

」の秀歌たち。

みずき
 遅櫻淋しき人の姿とも傘に消えたる影の老いゆく

野州
 いつもいつも遅れてやって来るねこに餌はやらないけれど死なない

砺波湊
 史上初ってカンジの青さの空を見てる遅刻の理由にならなくていい

瀬波麻人
 この町も知らないルールで回ってて時計がいつも二分遅れる

富田林薫
 寄り道をしたのでしょうね山肌をあなたの声が遅れて届く

鳥羽省三
 遅咲きは鞍馬関山義経の顔のごと朱にぞ笑まふ

伊倉ほたる
 透明な背中の糸に気づかれて遅れた二度目の羽化が始まる

紗都子
 遅くとも明日には着いているだろう海辺のポストのかたちを思う

ワンコ山田
 「出会うのが少し遅くて」(眼を伏せる)着信履歴がかさぶたになる

佐藤紀子
 門限に少し遅れて帰りたる娘は常より少しおしやべり


(敬称略)

030:遅(理阿弥)








左手がすこし遅れるバイエルを弾いてたひとのピアノ《売ります》
カミソリーフ
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理阿弥(りあみ)



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