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鑑賞054「丼」(TB140まで)

」。どん、あるいはどんぶり。
庶民的な、生活と密着した言葉。








丼を包まんとして幼な子の小さき指は凧のごと張る
  三沢左右
大きな器を懸命に持とうとしている子供の指が、
風に抗って飛ぶ凧の骨のようにピンと張っている、というのです。
体が小さく、何をするにも苦労した自分の子供時代のことを思い出してしまいました。

この「丼」というお題、みなさんどうでしたか?
私自身は非常に苦労して詠んだ覚えがあります。
なんとか上手い一首にしてやろうと、力んでしまったんですよね。
しかし、生活のなかにある言葉がお題の場合は、
やはり生活のなかに詠むヒントがある。
ちっちゃい子が頑張ってドンブリを持とうとしている、
それを丁寧に描写することで、こんな素晴らしい歌ができるんですね。

ただ状況を描写しているだけ、ということでなく、
「あ、力いれてるな~」とか、「がんばってんなぁ」という眼差しが
「凧のごと」という喩えにつながるわけで、
そこに、見ている作者の姿が現れるわけです。
そういうのが、短歌の本質なんじゃないかな、と思い出させてくれた一首でした。



」の秀歌たち。


船坂圭之介
 独り身のわが作りたるラーメンの三筋残れる丼 あはれ

保武池警部補
 消えた罪その後通り魔「カツ丼」と捕まり男望み伝えき

津野
 飼い主はひとりではなく公園の猫が水飲む欠けた丼

コバライチ*キコ
 丼に金魚を放つ夕間暮れ花火の音が遠く響けり

龍翔
 紅生姜だらけになった牛丼の中にサラリーマンのかなしみ

るいぼす
 牛丼を食べてる男を観察し観察されてる吉野家の朝

モヨ子
 丼をかき込む仕草にこぼれ出る野性の匂いを見る定食屋

南雲流水
 牛丼を一緒に食べる人がいる引き直さない口紅のまま

粉粧楼
 無自覚に終わる今日を止められず卵崩れる丼の中


(敬称略)
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右カラムにある、ブログ内検索をGoogleエンジンのものに変更しました。
標準のは拾ったり拾わなかったりで、精度が悪かったので。

鑑賞053「なう」(TB144まで)

日本なう東京都なう上野なう動物園なう檻の中なう
  南野耕平

(雨なう)と云ふ声のして仰向けば人工衛星横切れる空
  飯田彩乃

残照の鋭い軌跡ガラス窓 ああ、曲面のカーテンを なう
  富田林薫

梅田なう。尼崎なう。神戸なう。(追い駆けっこのはじまりはじまり)
  龍翔

街頭なうビラ配りなうまだわたし明日を捨てるわけにいかない
  ネコノカナエ

サッカリンのようでよいならいつまでも居てもいいよう中州なう、なう
  北爪沙苗

なう」!
場所や行動などの種々の語にくっついて、自分の現在地や、
やってることを端的に表せるという、わずか二音の超絶便利なことばです。
 私はこのお題では「行なう」という単語に紛らせてしまいましたが、
 056「摘」のお題で使ってみました。


Twitter で "Lunch now." なんて呟かれてたのが、
ツイッターに「昼食なう。」なんて風に輸入されたんですね(って理解でいいのかな?)。
短文文化のツイッターで流行った言葉は、もちろん短歌にも相性が良いわけで、
これが定着すればいろんな表現が楽になるよね、なんて思うわけですが、
このように瞬間的に大流行した語(2010の流行語大賞候補にもなった)は、
少し時間が経つと若干の「ダサ臭」が漂うのは仕方ないところで、
ちょうど今は、腐るか腐らないかのいい時期にあるんじゃないでしょうか。

ツイッターでは、使う人も減り、逆にダサげな時期も過ぎて、
見かけてもなんとも思わない、無臭な単語になりつつある、気もします。
さて、短歌の中ではどうなって行きますか。定着は難しいのかな~
そういういろんな意味で、2011題詠ブログに登場したのは
まさにタイムリーであり、よかったなぁと思います。
たとえば十年後に、「なう」を詠み込んだ歌を鑑賞すると、
どんな印象を受けるのか、興味は尽きないです。

なう」を、まさに NOW の意味で使っている、
イイネ!と思った六首を選ばせて頂きました、なう。



なう」の秀歌たち。


紫苑
 平らかなうるまのうみとそらのあをいくさの澱をな捲き上げそ

西中眞二郎
 踊り手の真白き腕のしなうとき微かな笑みが浮かぶを見たり

水風抱月
 朝霞八重の桜へ絆されて夜の名残の魂をあざなう

miki
 稲の波いざなう中に白鷺の そぼ降る雨に群れてたわむる

夏樹かのこ
 群れをなすいさなうちうみ滑る銀はだしでくぐる青のジオラマ

酒井景二朗
 高き枝に憩ふ小鳥よなうごきそ我が寫眞機は武器にはあらず

揚巻
 損なうと知りつつなおも行軍は顔あるひとをただ数にして

じゃこ
 おかんいまあんたのすきなぱんやなう(´・ω・`)いるもんあったらめーるしてなう(´・ω・`)

藤田美香
 神様もいろいろあって慣れちゃってかなうものには値段がついて


(敬称略)



余談ですけど、短くて便利なのに使われなくなって残念な言葉に
格助詞の「ゆ」があります。「田子の浦ゆうちいでてみれば~」のアレですね。
辞書によっては簡単に「~から」と説明されてることもありますが、
"from" というよりも "via""through" を足したイメージが
近いんじゃないかと思います。
田子の浦という地域を経由して、田子の浦を抜けて、みたいな。
実質消えた言葉だから単純な置き換えは難しい。
山部赤人さんに聞いたら、「ゆ」は「ゆ」でしょ、「から」でも「より」でもないよ、
って言われるでしょう。
う~ん、もったいない。

 田子の浦ゆうちいでてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける 山部赤人 -万葉集

鑑賞052「芯」(TB144まで)








ただ芯に捕らえられたる白球の痛みを引きし放物線かな
  東雲の月

その打球が、スタンドインするだろうことは分かっているのに、
見上げていなくてはならない。
野球の魅力って、あの滞空時間にギュっと凝縮されてるのかもしれません。
チームメイトだけでなく、関わっている人みんながその命運を覚悟する、あの数秒。
投手は永遠にも感じるのかもしれないなぁ。

"痛みを引きし放物線かな"
う~ん、名歌というにふさわしい響きを持っていますよね。
高校野球の会報か何かの巻頭に載せてほしいくらい。
どうでしょう、関係者の皆様。…見てないか。



」の秀歌たち。


飯田彩乃
 尖らせた瞳のままゆく少年のうちに眠れる4Bの芯

梅田啓子
 衿芯のぴんと張りたる人なりき こぼれ種より朝顔いづる

久哲
 尺と言う古い単位に包まれて花火の芯で眠る夏色

龍翔
 似たような人をいつでも好きになる 色鉛筆の芯は柔らか

冥亭
 食べ終えて林檎に芯のある事を知るが如くに汝を愛さむ

揚巻
 泣かぬのは泣かせてほしいからなのに拗ねたりんごの芯まであおい

村上 喬
 白百合の花芯をつまんだ指先で窓のくもりをあなたは拭う


(敬称略)

鑑賞051「漕」(TB141まで)








決められたスカート丈でぶらんこを高く漕いでも空は遠くて
  千束

どんなに強く、勢いよく漕いだって、どこに行けるわけでもないブランコ。
頂点に達した時のふわっとした高揚感は、やがて引きずり降ろされるような
失速に変わります。
お仕着せの制服に身を包み、相も変わらずの毎日。
社会に出て、自分はどんなふうに大きくなっていくのか。

不安や漠然とした焦燥感を抱いた思春期のもどかしい姿を、
「決められたスカート丈」というシンプルな言葉でスパッと
表現しきった、みずみずしい一首。
ストレートだからこそ多く共感を呼ぶ歌ではないでしょうか。



」の秀歌たち。


西中眞二郎
 ボート漕ぐ手に花びらの散りたれば古き記憶がつと浮かび来ぬ

牛 隆佑
 一匹の裸が音を響かせて自転車を漕ぐ(海に出ました)

尾崎弘子
 牽牛は泣いてゐたりき乙女らはとほめがね越しに見れば漕ぎ出す

藻上旅人
 ボート漕ぐ手を休めては空を見た言えなくってもいいと思った

南雲流水
 うとうとと二人電車で舟を漕ぐいつか僕らは違う岸辺に

桑原憂太郎
 面談室で向かいあひたる女生徒の嗚咽の先へ今日も漕ぎゆく

萱野芙蓉
 今宵照る月の(おもて)の陰翳をガレーの漕ぎ手も見たかもしれず

揚巻
 消えかけの記憶がおもくおもいでの漕いでもこいでもあぶらの浮く日

村上 喬
 舟を漕ぐうすずみ人は竿さして悠久のとき遡りおり


(敬称略)

猫丘ひこ乃さんのお歌から

 〇〇二:幸
数珠念珠下げた牛歩の老女おり祈りつつゆく幸多かれと

 〇一二:堅
堅炭と語りはじめるようにしてほのかに暖をとる京の朝

 〇一三:故
故郷へと向かう列車で恵方巻南南東がずれてゆきます

 〇二七:水
吾の胸に水琴窟を見つければ君の調べが響く暗がり

 〇四五:幼稚
幼稚さも同じ器に入れておく新しい芽が顔を出すまで

 〇五六:摘
摘みとった山椒の葉を手のひらにふたつたたいて香りふくらむ

 〇九六:取
刈り取ったドクダミの香は満ち満ちてラジオ体操第二はじまる
猫丘ひこ乃さんが七首選してくださいまして、拙作にひとつずつ丁寧な評をいただきました。
ありがとうございます。(*^_^*)
猫丘さんのお歌は私のブログでも何度か採らせていただいており、
上記の002~027はそのうちの四首です。


 045:幼稚
幼稚という抽象名詞が、物理的に扱えるもののように詠われています。
そうすることで、ふだん否定的に扱われていることばが、
少し手触りのある、身近なものに感じられるよう。
幼稚さも自分の一部であると引き受ける、ということなのでしょう。
良い部分も悪い部分も、みんな未来への栄養となれ、そんな前向きな一首。
難しいことば、特別な単語を使わなくても良いレトリックが
良い歌をつくるというお手本と思います。


 056:摘
私が短歌を読んでいて嬉しく思うのは、
自分にとって新しい発見があるってことなんですよね。
たとえば昔の人達はしょっちゅう旅行も出来なかったし、
テレビで知識を得ることもなかったから、短歌が旅行記や歳時記や、
あるいは写真のような役目までも果たしていたわけですね。
「へー、富士ってそんないい山なのか、いつか行ってみたいなぁ」なんてね。
で、現代でもそういう短歌の性質っていうのは生きていると思うわけです。

摘んだ山椒の葉を叩いて香りを楽しむって、私は知らなかったんだけど、
ただ未知の体験が書かれてるだけでは「ふーん」としか思わなくて、
ポンポンって二回叩いたんだな(ふたつたたいて)、とか、
匂いがじんわり漂ったんだな(香りふくらむ)、などの描写があってこそ、
「おぉ」という発見につながると思うんですよね。
その単語の選び方ひとつひとつが、一首を短歌たらしめるのです。


 096:取
ある言葉とある言葉が、受取り手の頭にイメージを膨らませるために持つ、
適切な距離、効果的な距離というのがあると思います。
ドクダミの匂いとラジオ体操、ぴったりの距離だと思いませんか。
夏休み、早朝の眠さ、めんどくささ(笑)、たまるハンコ・・・
いまラジオ体操ってどのくらい行われてるのか、ちょっと分からないですけど、
相当数の日本人がいろいろな思い出とイメージを持っているはず。
でも、上句を「なつやすみ眠きまなこをこすりつつ」ってやっちゃうと、
これは近すぎるんで「あ~あったあった」で終わっちゃうんですよね。
ドクダミの匂いってのは、全てのラジオ体操に付随しているわけじゃない。
そういう個人的体験だからこそ普遍性を持ちうる歌になる。
答えを言っちゃうんじゃなくて、そのイメージをそれぞれの読者から
引き出してくれる。それが私の考える良い歌。


猫丘さんの歌は、描写が丁寧で言葉ひとつひとつをなおざりにせず、
細やかに詠まれているという印象を受けました。
自分の作歌を振り返って反省することしきり。
お人柄と感性のなせるわざなのだと思います。
ぜひみなさんも百首とおして読んでみてくださいね。

猫丘さん、たくさんの素晴らしいお歌をありがとうございました。

夏実麦太朗さんのお歌から

 〇〇五:姿
闇に立つ観音菩薩立像に姿勢の悪い何体かあり

 〇二三:蜂
うつろなるアルミサッシの溝のなか蜂のなきがら鮮やかにある

 〇三二:町
市は町をのみこんでゆき何ひとつ昨日と変わることのない空

 〇四七:態
服従の態度をみせる白犬のお腹の皮のうすべにあわれ

 〇四八:束
札束は鼓動を持っているごとし車を買いに行くゆうまぐれ

 〇六二:墓
ていねいに墓石に水をかけやれば水は墓石をくまなく濡らす

 〇七六:ツリー
どなたかがつめたく光るダイオードをつくったおかげでツリーがきれい
今年も夏実麦太朗さんが選歌してくださいました。
麦太朗さん、いつもありがとうございます。(*^_^*)
私も七首、選ばせていただきました。

投稿歌まとめ 001~010


 
十の夏初めての死が発芽せり水際(みぎは)にカヲルのからだ揺れゐて

 
幸せな指のかじかみ(いきている、)無情の海よHow(なんて) Beautiful(きれいだ)!

 
延べられし汝が手底(たなそこ)の細波に顔うづめれば田芹の香り

 まさか
あかときにふるふる揺るるモビールをふたり見てをりまさか春雷

 姿
風折れて姿わびしき花の名を伝ふるひとぞ世にあらまほしき

 
曼珠沙華さく野に困臥(こんが)せしままに太郎は逝けり首輪を外しぬ

 
仰ぎみれば天にむらくも桃色の熊手かかげし吾子(あこ)が耕す

 下手
解体の槌の濁音だだだんだんだんらん下手のぼくら憩へり

 
寒寒しき部屋より出でて寒寒しき部屋を借りたりベゴニア置かむ

 
ジョイフルに選びあぐねる殺してもよい鼠らを駆除するクスリ

投稿歌まとめ 011~020


 ゲーム
末弟のゲーム胼胝(だこ)もつ手のあはれそと差し出せるをぎゅと握りたり

 
散りし地ゆ集ひて塔を建てたるらむ土より堅く天より脆き

 故
故カヲルの画集の隅に鉛筆で「ウレシイ」 閉じて林檎を磨く

 
逝きし人の残せる皿にかすていら乗せたりひとつ小部屋は昏れぬ

 とりあえず
とりあえず医師であるため妹は人に頼まれ人の腹()

 
剥ぎとれば嬲りてをりぬ、紅絹色(もみいろ)の、愛で方知らず他にどんなどんなの

 
砂漠に 見失はれし音階よ眠らずに待て我ゆくまでを

 準備
遠き昨日の準備のかたち帰らない部屋にひいやり水筒の肌

 
幾層を削がれて生れし我が(はだえ)湯屋の鏡は糢糊(もこ)と曇りぬ

 
幻なき一生(ひとよ)を急ぐ()の子らにジサツウキンのホームぞ暗き

投稿歌まとめ 021~030


 
アユタヤに象を洗ひてをりといふメール来たりて夏至の静けさ

 でたらめ
でたらめにかみむしるひと駅におりなにもしてあげワタシられない

 
す る りと、リングを受容する(および)(蜂のクビレは脆いだろうか)

 
謝罪するひとぞ覚えず不遜なる(もだ)しもやしのひげを毟れり

 ミステリー
殺鼠剤喰えば死鼠(シネズミ)二三匹ミステリーなき平生をゆく

 
水面にて羽震わせる蛾を深く沈める指に波動さみしい

 
淡水魚、(かん)水魚などの区別なき甥のながぐつ雨に泳いで

 
管内の死者数十二というときの説明員の声のなめらか

 公式
露となり頬にこぼれる公式のせめて左右の等しく落ちよ

 
左手がすこし遅れるバイエルを弾いてたひとのピアノ《売ります》
カミソリーフ
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理阿弥(りあみ)



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 歌歴:08年より。
 口語でも文語でも。

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