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鑑賞075「朱」

ひとつの誤りがあるというだけで、「完璧さを欠く」といって
切り捨ててしまうには惜しい作品がある。

すばらしい着想で、言葉の使い方も大好き。
そのお題のなかでも突出して良い表現だと震える。
でも、一個だけ間違いがある。
旧仮名の使い方、あるいは文法、あるいは固有名詞の誤字。
ここ三題ほど、冒頭にもってこようとした歌がそんな感じで、
注釈付きで取り上げてもいいかと思ったけど、
それもなんか晒しあげてるようにとられないかと心配で、
ほんとにどうしようか、という思いである。
記事を途中まで書いては消して、書いては消して。
「ここさえ間違ってなけりゃ、文句ないのに!なんか口惜しい!」
と歯噛みする。

もとから多少の交流でもあれば、「間違いではありませんか」と
尋ねるのもやぶさかでないんだけれど、差し出がましい気もして、
いつもご本人が気付かれるのを待つだけになってしまう。

躊躇するのには、自分に大した歌力がないせいもあり、
そういう間違いや、あるいは歌の感想でもなんでもいいけれど、
気軽に伝えあえる場に、題詠ブログ全体がなって行けばいいんだけどな~
…ということを二年前から思ってるけど、なんの働きかけもしてない自分であった。
新参意識が抜けないのがいかんのかな。

 ※自分自身、たくさん間違いを犯してると思います。
  遠慮無くご指摘いただければ嬉しいです。
  今回だと「大蛇」にわざわざ(おろち)とルビつきで投稿し、
  あとで(をろち)だと気づいたりとか… いろいろやってます。てへぺろ



」の秀歌たち。


たえなかすず
 前の世は少女であった否たぶん 春のこよみに朱鷺は受胎す

保武池警部補
 血の朱のくゆりて旅人(たびと)魂気(たまき)尽き また飛びたてり行くのかあの地

猫丘ひこ乃
 朝採りのトマトは昨日(きぞ)の夕焼けの朱を全身で語っておりぬ

伏木田遊戯
 息絶える間際の痩せた犬のため花ゆれていよ朱雀大路に

萱野芙蓉
 窓を朱にそめる砲火も知らぬまま海の向かふの革命歌聴く

黒崎聡美
 陽の射さぬ納戸の床に落ちていた口紅は朱色 さよならを言う

平野十南
 朱実という女がいればいいのにな名を知らぬ実のわが庭に生う

小倉るい
 協議書の朱のあざやかで明日からは独りで暮らす母の行先

星川郁乃
 それなりに大人のふりもできまして朱肉の池に微かな窪み


(敬称略)
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鑑賞074「刃」

」の秀歌たち。


紫苑
 冬瓜のしろき裸身に刃入るれば滲める(あを)を破瓜といふめり

船坂圭之介
 来たる日もまた来る夜も背筋に刃のごとく透析の意識あり

保武池警部補
 刃に繁く夏ひぐらし鳴き討つ首 痛忌な白首繋ぐ 夏至には

行方祐美
 うつすらと柳刃包丁磨ぐ背しなへよ散りそむ桜のやうに

新田瑛
 やいば、刃 奥底にある血流をきっとあいつに見せておくれ

髭彦
 巨大なる凶刃と化しふるさとをなぎ払ひたり核の電炉は

富田林薫
 西日より長い刃の影を踏みつちふまずから泣き出しそうだ

牛隆佑
 千人とすれ違っても誰ひとり刃物を振りかざさない不思議さ

南雲流水
 幼気(いたいけ)な林檎にそっと刃を入れる林檎は芯に力を入れる

音波
 あたためた刃でバターを切るような手つきで君の腑分けがしたい

今泉洋子
 (やいば)研ぐ初夢覚めて産土の太郎月の空どんよりとあり

壬生キヨム
 劣情を吸った刃を咥えさせ好きではないと言われてみたい

冥亭
 自刃せし憂国の徒は青年の姿のままに暮れ泥むなか

生田亜々子
 手に入れた刃で傷をつけてみる私はやわい 血はややぬくい

久野はすみ
 目に刃ひからせている少年の指よりこぼれ出すノクターン


(敬称略)

作者/作中主体問題とか。社会詠とか。

ある歌人さんのブログに歌についての憤りのコメントがあったことを、
ツイッターのつぶやきで知り、その後「作者/作中主体」問題について
何人かの方と意見を交わした。

で、そのことについてなんか記事を書こうと思ったんだけど、
ずっと前に、旧ブログに似たようなこと書いたなーと思って、
結局その焼き直しになりそうなんで、時間もないし(笑)、
もしよかったらその記事を読んでみてください。

題詠ブログ2009の、ある歌を読んでの雑感です。
ちょっと長いですけど。

 ↓

みぎわさんのうた - 車止めピロー:旧館

鑑賞073「自然」

 このお題、自分の歌を見返すとまあ酷い詠みっぷり。
 そのへんのことはササッと棚に上げて、と。


自然保護的な見地から詠まれた、あるいは自然の脅威を詠みこんだ歌が
散見されるのは、う~ん、仕方ないのか。
はたして、常識や倫理を訴えることが歌の役目なんだろうか。
ましてやそれが一般論の域を出ないのだとすると…
歌で読むなら「自然なんか人間の好きなように冒してしまえ」という主張の方がましに思える。
素直に反発できるからね。心に作用する力を持っているということ。
だが「自然は美しい」「自然を守れ」といった正論には…
「ええ、そうですよね」と肯くばかり、それ以上反応のしようもない。

そしてもう一つ、実際の自然の風景を詠む、これも一筋縄ではいかない。
私が未熟な舌を振るうよりも、吉川宏志氏の明快な文章を
読んでいただいた方が良いと思う。以下に引用。

「 風景詠や自然詠というものは従来、目に見えるもの、聞こえるものなどを
  言葉で具体的に写すということに関心が向けられてきた。
  もちろんそれは大切なことなのだが、その根底には、風景を前にしたときに
  変化する「身の表情」をとらえることがあったのではないか。
  だからいくら美しい風景を詠んでいても、絵葉書のような歌は、
  もの足りない感じを与えるのである。そうではなくて、なまなましい身体感覚が、
  風景の描写からにじみだしていなければならないのである。
   (中略)
  私たちはたしかに風景を見ている。
  しかし「見る」ということ自体を裏づけている生身の感覚があるのである。
  歌を詠むということは、何が見えたのか、という結果を伝えることではない。
  物を見ているときのなまなましい現実感を、読者に感応させることに
  その本質があるのである。 

     吉川宏志著『風景と実感』より

歌作の折々に肝に銘じていきたい。



自然」の秀歌たち。


たえなかすず
 石灰のラインを引こう不自然に“青春ならば美しくあれ”

津野
 いいちこの瓶が隠れる自然なら右手で触れる地下鉄ホーム

穂ノ木芽央
 曇りなき自然のこころは得がたくて鍍金重ねる木枯らしの街

牛隆佑
 自然主義なんぞ知るかよ百個でも比喩を並べて君を誉めてやる

平野十南
 大自然博覧会を生きている落葉の中のわれのあかあか

ひぐらしひなつ
 不適切かつ不自然な関係を結びに午後のバスに乗り込む

しづく
 不自然に抜け落ちている記憶から掘り出そうとする君のくるぶし

冥亭
 自然薯のこっくり煮ゆる夜長にてしんしんと天体は回転す

久野はすみ
 不自然にほほえんでいるアルバムのわたしよ生きていてよかったね


(敬称略)

鑑賞072「汚」

「美」や「麗」などポジティブなベクトルを持つ文字は
詩に使われやすいですが、反対の価値を持つ文字群もまた、
詩作には適していると思われます。
しかしそれだけに今回は「」の持つ強い「詩」性に抗えず、
その引力を振りきれなかった印象。
あるいは、震災で汚染された国土を倫理的に憂うにとどまり、
歌として昇華されない作品が多かったのではないでしょうか。
選のみ。


」の秀歌たち。


横雲
 花の雨しとど濡らせる宵なれば朽ちたる花の汚きを摘む

みずき
 騒音は薔薇の汚れか白きもの全て真白き冬の静寂

船坂圭之介
 ひと厭ふ心はつねにわが裡に汚辱の夜といふ安住地

廣田
 悪徳を知りそめし夏過ぎさりて生徒手帳の汚れを落とす

南葦太
 Always I’m 14 till I die. 汚れてるのは土なんですか?

萱野芙蓉
 星を見る百合の花粉に汚されて地上にゐるつてかういふことか

ひぐらしひなつ
 人殺めしことは忘れよ夏草にシャツを汚して愛しあうとき

藤田美香
 外れても良いのだけれど汚れても良いのだけれど あ、落ちましたよ

竹中 裕貴
 汚くていいよと言われ青薔薇の背骨に指を這わしてしまう

星川郁乃
 それもさほど意味なく囁かれたのだろう葡萄の汁に口を汚して


(敬称略)

鑑賞071「謡」








 〈鎌倉静舞〉
銀杏樹は朽ちたふるとも千五百( ちいほ)(あき)燃ゆる謡ひぞ風に消えざる
  芳立

イチョウの木は倒れても無数の秋を謳歌したその歌声は風に掻き消されはしない、
といった意味でしょうか。
秋は生命の衰えてゆく期間というイメージがありますが、
「火」という文字が含まれていて、ゆらゆらと燃え立つ印象を醸してもいる。
そこに「燃ゆる謡ひ」を連ねることで、盛んに葉をつけて生を楽しむ木の姿が
まざまざと見えるように思います。
スケールの大きな一首です。

鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れて、もうすぐ二年。
自分の任期に、ああいった歴史を持つものが倒壊したのを眺める宮司さんは、
どんな気持ちだったんでしょうね。
痛ましい感情とともに、自らも歴史に連なるひとりであるという思いが
ますます強まるんじゃないのかな、と勝手に想像したりします。

倒れた大銀杏の一部は少し離れた場所に植えられ、新たな芽を出しているそうです。
連綿と続く命はまた、これから幾度もの秋を繰り返し生きることでしょう。



」の秀歌たち。


行方祐美
 素謡のやうに雨降るひとときが手帳にありき もうぢき穀雨

梅田啓子
 裃をつけて素謡(すうたい)するごとく紫紺あやめの列なりて咲く

牛 隆佑
 夕暮れの都会に謎の童謡が流されていて空襲警報

伊倉ほたる
 流れ出す時代遅れの歌謡曲ささくれを剥くちいさな痛み

萱野芙蓉
 駒鳥を殺したすずめそのわけを語らぬままに童謡は終はる

揚巻
 奪われたこどもを呼ばう童謡の暗い瞳であのこがほしい

砺波 湊
 歌謡曲には佇む人が多くいてきっと頭上にまばらな雲が

小倉るい
 ホームでは昭和歌謡を謡うひと我には永遠(とわ)に厳父であれかし



(敬称略)

鑑賞070「介」








幾度も介助を拒む者がいるサロメのような白い眠りを
  北爪沙苗

助けられたにも関わらず、幽閉されていた穴蔵へ自ら戻っていったヨカナーンが
「介助を拒む者」なのだとすれば、白い眠りの正体も明らかになってくる。
ワイルドの戯曲に沿って考えれば、「介助=(一方的な)偏愛」であり、
眠りは拒まれた者が下す「断罪」に他ならない。

恐ろしいのは、拒まれた者<サロメ>にとってそれは、自分の力の及ばないところにあるために、
さらに力のあるもの(権力者)に頼り「白い眠り」に至らしめるという部分だ。
この一首全体が、粘り気のある呪詛であるとともに第三者への嘆願、
あるいは命令の形をとっているわけだ。
「私の愛で明るい世界をもたらそうとしているのに。
 それならいっそ、あの人に白き眠りを。」
世界中の<拒まれた者>たちが、そう呟きながら夜な夜な夢の世界へと帰っていくのだろう。


余談だけど、大学時代にどこか中央線沿線の40人くらいのキャパの
狭い小屋で見た素人劇団の「サロメ」が強烈に記憶に残っていて、
そこではむくつけき大男がなぜかサロメをアングラ風に演じていて、
彼(彼女?)が汗まみれになって叫ぶ
「あたしはヨカナーンに口づけしたよ」
というリフレインが胸に残り、強烈な感動を呼び起こしたんだけど、
今となっては劇団名もその男優の名も、なにもかも覚えていないのだった。




」の秀歌たち。


飯田彩乃
 うつくしき他者の介在 なだらかな腹に手を添へ微睡む姉は

五十嵐きよみ
 一枚の上着を傘にして駆けるふたりで「介」の字になりながら

音波
 転がったまま眠れないそつのない自己紹介ができない初秋

伊倉ほたる
 厄介な留守電を消す真夜中の雨で濡らした靴のつま先

黒崎聡美
 赤や黄の紙の葉っぱのあざやかさ介護施設を包む夕暮れ

ひぐらしひなつ
 簡単な紹介のあと取り敢えず笑って冬の枝をくぐった

小倉るい
 ふるさとを棄てる覚悟が出来なくて介護施設を探す6月

T-T
 含んでる水を飲みこむ パソコンの画面を介して友と呼ばれる

久野はすみ
 またしても介抱役となるきみだ 青い朝にはかがやくだろう


(敬称略)

鑑賞069「箸」

なかなか時間が取れず、更新が滞ってごめんなさい。


」。
題材があまりに身近で、詩想の翼も高く飛ぶことが出来なかったか。
選のみです。
傑作を見逃しているような気もしますが…


」の秀歌たち。


夏実麦太朗
 売れ残る箸の螺鈿のきらびやか刹那の恋の行方は知れず

紫苑
 塗り箸に白蝶貝の桜ばなひそと散らうて春をしつらふ

行方祐美
 昔ぱなしに一つの区切れを入るるやう味噌鯖とどく三尺三寸箸で

水風抱月
 火箸もて掻き混ぜる炭灰白く荼毘に付されし人のごとくに

酒井景二朗
 鐵箸を共に使ひし人もまた荼毘の煙となりにけるかな

東雲の月
 ひぐらしは静かに響き夏の日の震える箸に骨渡しゆく

紗都子
 ふぞろいにわれた割箸対称をなくしたものは自由に見える

黒崎聡美
 箸置きに箸を置く所作うつくしく夜はそれよりゆるやかとなる

粉粧楼
 わたくしの内なる熾火見つめつつ火箸のように触れる人待つ


(敬称略)

鑑賞068「コットン」








オーガニックコットン農家のうつくしき笑顔のパネル 彼らは着ない
  清次郎

オーガニック、うつくしい笑顔と、柔らかい言葉を続けた後の結句のこの破壊力!
たった七音で、本質にズバッと切り込んでいます。
どうでしょう、過不足のないこの気持ちよさ。
(カ行音を含んだ単語が整然と使われているのも、小気味よさの理由かもしれません)

大学時代のアパートのそばに、小さなテーラーメイドのスーツ屋さんがあって、
海外の要人と握手してる写真を入り口に掲げていたのを、ふと思い出しました。
店の主人と外国人がただ握手してる一枚で、店の箔をつけるのに一役買っていた。
本物だったかもしれないですけど、通りかかるたびに胡散臭さを感じてたなぁ。

最近では、お茶の成分を含んだ石鹸の件などもありましたが、
これだけ情報を手に入れやすくなった現在でも、
耳触りの良い売り文句の裏に、本当は何が起こっているのかを
見極めるのは難しいんですよねぇ。

表現者には、世界を広く、皮肉的に、斜めに眺める視点も時に必要とされる、
そう思います。



コットン」の秀歌たち。
屈指の難題でした。


津野
 無垢のまま髪の先っぽ笑うときはじけて白きコットンフラワー

廣田
 コットンを透かせる光の繭のなか羽化を拒んでまた目を閉じる

水風抱月
 エナメルの有刺鉄線摘み取りしコットンパフに少女が芽吹く

不動哲平
 ピン札を飛ばす コットンクラブなる舞台のうえに居並ぶ愛へ

空音
 いい人の振りなんてもうするものか裂くように脱ぐコットンのシャツ

黒崎聡美
 快晴に<100%コットン>と表示のシャツの正しい白さ

冥亭
 コットンのワンピースなる幼女にて暮れなずむ街ゆくひとさらい

砺波 湊
 汚れることが役目と信じて並びいるコットンパフの真四角な白

星川郁乃
 青年が持て余す熱 清潔なコットンシャツに糊ひからせて

片秀
 コットンを2つ3つと裂いていき彼しか知らない世界を描く


(敬称略)

鑑賞067「励」








声高に励まさずとも花ならば風の温度を待ちて咲くもの
  津野
松山千春が「野に育つ花ならば力の限り生きてやれ」と歌っていて、
このような単純な歌詞が活きるのはそれが歌謡曲だからで、
ここに彼の歌声や、曲のメロディ、演奏などが総合的に加わり、
いわゆる「心に届く表現」になってくる。
短詩で「歌謡曲的だ」というのが褒め言葉にならないのは、
これは文字だけで勝負する必要があるからで、たとえば短歌なら
基本的な三十一音のなかでなんらかのフックがないと
ああいい歌だな、という感慨を呼ぶことは難しい(もちろん例外もある)。

冒頭に掲げさせていただいた一首。
この歌もストレートですっと心に沁みるのだけれど、
下句の「風の温度を待ちて」というフックが、
読むものを素通りさせない、大きな役目を果たしている。
偉人の名言などに通ずるような、優れた修辞だ。
ぜひ、音読して味わってほしい。



」の秀歌たち。
励ましの難しさ、辛さが詠われていました。


飯田彩乃
 励起した電子が歌うかつて見た宇宙の昏いかがやきなどを

行方祐美
 励起との言葉を深く剖く人われへの川の轟音聞こゆ

草間環
 励ましの言葉飛び交う列島に背をむけている猫背のわたし

水風抱月
 励ましの声ばかりなる日を倦みて一つ無音の支援を残し

髭彦
 がんばつぺがんぱつぺとて幟立ち励ましをりぬフクシマの地を

伏木田遊戯
 内側へは触れて来ないね 励まして済むんだったら国立国会図書館第二修繕室はいらない

北爪沙苗
 ほどほど、と励ましながら降り続く十月の雨 バラも散るころ

新藤ゆゆ
 だいじょーぶ奨励された色だけでえがく明日はとてもぴかぴか

萱野芙蓉
 励ましは重荷でしたねおろおろと一緒に泣けばよかつたものを

小倉るい
 限られた楕円の中に放たれて何を励みに進むや馬は

竹中 裕貴
 できたての平均台に励まされあなたへ渡るひらがなのとり

星川郁乃
 晩秋をまだ鮮やかに咲きつづけベゴニアはわが励ましの花


(敬称略)
カミソリーフ
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理阿弥(りあみ)



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 歌歴:08年より。
 口語でも文語でも。

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