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鑑賞063「丈」




ゆきやなぎ咲きいし頃に帰りきて身の丈ほどの妻を娶りぬ
  野州


身の丈に合わぬ思いと言い聞かせ くつくつ煮たつ角煮の火消す
  豆田 麦


身の丈の五尺に満たぬ人なりき 屈みてわれはお皿を洗う
  梅田啓子

これらの歌は、どこが優れているのか。
個々の歌の秀でたポイントではなく、共通した基本的な
歌の良さについて、大掴みに書きたいと思います。

「ゆきやなぎが咲く頃」、「妻を娶る」
「自分に言い聞かせる」、「火を消す」
「背の低いひとだった」、「皿を洗う」

複数の要素が配され、歌を立体的にしてますよね。
ひとつのことだけを言うのに終始していない。
なにを持ってくれば効果的なのか、自作を
客観視する眼がないと、難しいことです。
さらに、直接的な心情が描かれていません。
それらは、作中で語られる情景や行為に託されています。
「恋しい」「懐かしい」「悲しい」「苦しい」などの、
身も蓋もない<答え>を吐露してしまえば、読み手は同情こそすれ、
想像の翼を羽ばたかせる余地を奪われ、詩が死んでしまうのです。
(まあ殆どの場合、人生はひとつの感情で割り切れるほど単純ではないわけです)

ここでは三首を取り上げましたが、もちろん、歌のかたちはさまざま。
「こうすればよく、こうしたらダメ」とは、一概には言えません。
ひとつのことだけ描写しても、感情をぶちまけても、いい歌にはなり得る。
しかしそこには、微細に描写するとか、リズムが面白いとか、音の響きが楽しいとか、
その作者ならではのレトリックが効いているとか――――
詩が詩であるためのポイントが意識されていなければならない。
それらのポイントが、読み手の心に穴を開けるわけです。
そうでなければ、ただの「短い作文」で終わってしまう。
「身の丈に合わない恋だった」を、単に三十一音に引き延ばすだけでは駄目なんですよね。

要領を得ない文章になってたら申し訳ない。m(_ _)m
得た着想に拘泥して、感情に溺れがちな歌うたいの私が、
自戒の念を込めて書いておきます。



」の秀歌たち。


夏実麦太朗
 「大」「丈」「夫」三人ならんで歩いたら岩をもくだき進みゆくかも

アンタレス
 初孫が男の子で今は丈高くばばの手で縫う浴衣生地やっと

新田瑛
 「どうしたの」と聞いたところで「大丈夫」と答えるのだろう だから「おやすみ」

酒井景二朗
 丈足らぬ言葉なれども七夕の願ひさやけく下げられてあり

富田林薫
 背高泡立草の丈に近づく約束を秋になるまで忘れないでね

紗都子
 草の丈ぐんぐん伸びる黄昏に子どもの時はゆったり満ちる

平野十南
 かさかさを丈高指でなぞる子のその唇のかたち秋とは

空音
 もう全て知ってるような顔をしてミニ丈に折るプリーツスカート

奈良絵里子
 長すぎる丈のカーテンぶら下げる 引っ越すことに慣れすぎている


(敬称略)

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