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鑑賞073「自然」

 このお題、自分の歌を見返すとまあ酷い詠みっぷり。
 そのへんのことはササッと棚に上げて、と。


自然保護的な見地から詠まれた、あるいは自然の脅威を詠みこんだ歌が
散見されるのは、う~ん、仕方ないのか。
はたして、常識や倫理を訴えることが歌の役目なんだろうか。
ましてやそれが一般論の域を出ないのだとすると…
歌で読むなら「自然なんか人間の好きなように冒してしまえ」という主張の方がましに思える。
素直に反発できるからね。心に作用する力を持っているということ。
だが「自然は美しい」「自然を守れ」といった正論には…
「ええ、そうですよね」と肯くばかり、それ以上反応のしようもない。

そしてもう一つ、実際の自然の風景を詠む、これも一筋縄ではいかない。
私が未熟な舌を振るうよりも、吉川宏志氏の明快な文章を
読んでいただいた方が良いと思う。以下に引用。

「 風景詠や自然詠というものは従来、目に見えるもの、聞こえるものなどを
  言葉で具体的に写すということに関心が向けられてきた。
  もちろんそれは大切なことなのだが、その根底には、風景を前にしたときに
  変化する「身の表情」をとらえることがあったのではないか。
  だからいくら美しい風景を詠んでいても、絵葉書のような歌は、
  もの足りない感じを与えるのである。そうではなくて、なまなましい身体感覚が、
  風景の描写からにじみだしていなければならないのである。
   (中略)
  私たちはたしかに風景を見ている。
  しかし「見る」ということ自体を裏づけている生身の感覚があるのである。
  歌を詠むということは、何が見えたのか、という結果を伝えることではない。
  物を見ているときのなまなましい現実感を、読者に感応させることに
  その本質があるのである。 

     吉川宏志著『風景と実感』より

歌作の折々に肝に銘じていきたい。



自然」の秀歌たち。


たえなかすず
 石灰のラインを引こう不自然に“青春ならば美しくあれ”

津野
 いいちこの瓶が隠れる自然なら右手で触れる地下鉄ホーム

穂ノ木芽央
 曇りなき自然のこころは得がたくて鍍金重ねる木枯らしの街

牛隆佑
 自然主義なんぞ知るかよ百個でも比喩を並べて君を誉めてやる

平野十南
 大自然博覧会を生きている落葉の中のわれのあかあか

ひぐらしひなつ
 不適切かつ不自然な関係を結びに午後のバスに乗り込む

しづく
 不自然に抜け落ちている記憶から掘り出そうとする君のくるぶし

冥亭
 自然薯のこっくり煮ゆる夜長にてしんしんと天体は回転す

久野はすみ
 不自然にほほえんでいるアルバムのわたしよ生きていてよかったね


(敬称略)

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