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鑑賞020「幻」(TB 151まで)

」の秀歌たち。

西巻真
 あといくつの死を分かちゆく日々なのか ゆふべ汗馬の幻を見き

砺波湊
 オアシスの幻に似て灰色の校舎のなかでひらく祭りは

梳田碧
 蟻の曳く荷物は骸ばかりなりキャラバンサライも遠い幻

中村成志
 月光は空き屋にも降り幻と見紛うごとくすずらんの房

(敬称略)


俳句には「切れ」がありますが、あれはものごとを
立体的に照射するためのテクニックなわけです。素人解釈ですけど。
 (照射された結果立ち上がってくる像は読み手によって違ったりします。)
俳句はめちゃ短い詩型なので「切れ」を使いますが、
短歌はまた短歌なりの「立体的照射」が必要なのだと思います。
 (もちろん俳句にも短歌にも例外はあります。)

たとえば「△△は幻(のよう)だった」だけだと、「単照射」にしかならない。
そこで、読み手の心の中に立体的な像を結ばせるために、
もうひとつの光源をつくってやる必要があるわけです。

優れた歌人にとってのもうひとつの光源というのが、
馬だったり祭りだったり蟻だったりすずらんの房だったりするんですね。

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カミソリーフ
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