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鑑賞094「裂」

」の秀歌たち。


夏実麦太朗
 コンクリの裂け目を埋めるコンクリの裂け目を埋めるコンクリを練る

湯山昌樹
 紙を裂く ただ紙を裂く少年の心に棲めるものを知りたし

南葦太
 うさちゃんの白い頭の裂け目から出てくるのまっ黒のが こわい

飯田和馬
 裂けて散るかもしれないと曇天の君の眉根を注視していた

揚巻
 ふるさとをわすれてひらく綿の花 国境線に裂傷深し

ひぐらしひなつ
 雲裂ける真冬のきわみ死に近きひとの手紙を繰り返し読む


(敬称略)

鑑賞093「迫」

」の秀歌たち。


紫苑
 食といふいとなみもたぬ蜻蛉の迫るいのちの浄くあらなむ

三沢左右
 山際をひたすかに雲迫りたり 堰きもあへぬは涙なるかな

水風抱月
 君宛に綴り損ねた空白が圧迫してゆく一瓶の春

梅田啓子
 迫害を受けたるごとく梔子(クチナシ)の花の()びおり わが留守の間に

コバライチ*キコ
 刻々と夕闇迫る立秋の霞が関のビルは熱持つ

飯田和馬
 クリスマスソング流れて冴える赤 みな迫真の演技に見える

ひぐらしひなつ
 迫害の果ての死いくつ展示して冷えたり切支丹記念館

清次郎
 地球から逃げ去りそうな迫力でエレベーターの▲叩く少女


(敬称略)

鑑賞092「念」

良く分からない、でも良く分かる。
すぐ分からない、でもいい歌だな、ということがあります。
そういう時はたいてい、自分に読み解く言葉が無いのを無念に思いながら、
取り上げるのを泣く泣くやめる、ってことになるんですが、
今回は頑張ってやってみましょう。








記念日を一つ減らして帰る夜のわたし 暦の上では自由
  星川郁乃

記念日を減らす、というのはどういうことか。
たとえば誰かと別れてしまえば、記念日が記念日でなくなる。
あるいは、記念日を過ぎてしまえば、残りの人生で
迎えるであろう記念日の総数は減りますね。
"一つ"減らして、とあるので後者だとみるのが妥当でしょうか。

では「暦の上では」をどう読むか。
この言葉、「暦の上では◯◯ですが、気温の方は~」という言い回しでお馴染み。
「暦で言ってることと、私たちの感覚は随分ちがいますね」ってことだから、
下句は、カレンダーに刻まれた記念日では<わたし>は自由であるはずなのに、
そんな風には感じられない、ということか。

記念日を祝い、時計が零時を回って帰る道。
嬉しいだろうはずが、自分は不自由だ、と感じている。
さて、これ、何の記念日でしょう。誕生日か。結婚記念日か。
もしかしたら離婚した日を、自分の記念日としているのかもしれない。
<わたし>が確かにフリーになったはずの、その日。でも。

さあ、みなさんはどのように読みますか?



」の秀歌たち。


tafots
 ブラジャーの既成概念くつがえす脱がされ方を思い出す夜

水風抱月
 初蝉に滾る命脈念念と燃え上がりゆく 夏遠からじ

コバライチ*キコ
 念仏を唱うる僧の広き背に西日の影が伸びて這いおり

酒井景二朗
 今一度無念の人の窗に置く矢車菊に虻よたかるな

夏樹かのこ
 残念賞のティッシュをもらう空白の手帳も別に埋めなくていい

富田林薫
 どこまでも記憶のようなこの森にあなたであった植える記念樹

北爪沙苗
 押し花の念の浄化を願いつつ読みさしの本を閉じる音聞く

揚巻
 夜汽車いざ継ぎ目を順に越えながら念じて とどけ とどけ とどけ


(敬称略)

鑑賞091「債」

」の秀歌たち。


みずき
 債券を売らむと決めし携帯の感触冷ゆる春に凭れぬ

酒井景二朗
 ささやかな負債のあれば毎日は悲し翼々選ぶ安酒

鳥羽省三
 債鬼待つ店子の如く静もれり桜田門より見上ぐる皇居

牛隆佑
 ローソンが故郷になる/肉体の全てが負債でも抱きしめる

富田林薫
 ノルウェーの森の静かに雪ふるように債務時計の刻まれてゆく

揚巻
 刺しあとをのこしていった蜂はどこ夏の負債もいつかきえると

清次郎
 債務整理ブームは終わり草原に司法書士たちが根差す早暁

鮎美
 晩秋の銀杏並木の燃ゆる黄よ書債ある身はゆつくり歩む


(敬称略)

鑑賞090「そもそも」






泣くほどのことかよそもそもシドニーは地球だ、火星ならばまだしも
  小林ちい


そもそも、と言い出したなら最後まで責めておしまいなさいよ、時雨
  星川郁乃

両歌とも他者へ投げた台詞のなかの一語として、お題を扱っています。
これは「そもそも」が持つ<上から目線>感を和らげる方法として、
とても良いやり方と思えます。
「そもそも~」と話しかける対象を、
読者から第三者へとズラしているわけですから。

「そもそも世界は」「そもそも愛とは」と詠んでみたときの
説教臭さをどう消そうかと歌人は苦心するわけですが、
他に「そもそもXXは」のXXを卑近なものにしてみたり、
「そもそも」という語が持つ音の面白さを主眼に詠んだり、
いろいろな工夫があるのだと思います。

大上段にかまえて詠むとたいてい歌って上手くいかないですよね。



そもそも」の秀歌たち。
見事にお題が料理されています。


久哲
 初めからそもそも彼は飛べるのに週末にさえ籠から歌う

中村成志
 靴底で砕いた蝉は
 生物のそもそもの水
 滲みもせずに


富田林薫
 そもそもと切り出した後の静寂のコーヒーカップにかすか秋色

龍翔
 さようなら、ティッシュペーパー。さようなら、そもそもあなただったものたち。

飯田和馬
 もそもそもそもそもそもそもそもそうそもそもそううそもそ 起きなよ

清次郎
 やさしさもさびしさも波の形して広がっていく そもそもは海


(敬称略)

鑑賞089「成」

」の秀歌たち。


浅草大将
 雲一つゆく冬空の青によし成らざるとても望みをば見む

酒井景二朗
 月光に成敗されて自轉車で下る道端白萩流る

小林ちい
 玄関に姉のトランク 明日には成田へ向かう姉のトランク

鮎美
 生まれつきおまへは三女姉のための振袖を着て成人式へ

T-T
 光合成している子らが跳ねている市民プールを過ぎ帰宅する

きたぱらあさみ
 So good communication. あたしたち平成うまれピコピコ育ち

久野はすみ
 ぐずぐずと成り下がりゆく一夜かな柿の実ひとつテーブルにあり


(敬称略)

鑑賞088「湧」








死者の眸のあまた開きて音も無く一掴の空雲湧かし居り
  船坂圭之介

死者の眼は、何を見ているのか。
これまでに亡くなった、知っているひと、知らないひと。
限りある生の、その向こう側へいった人々。
その一続きのものとして在る、自分。
生まれ来ることと、死にゆくことの狭間にある存在としての自分。
そんな生ある自分が今、空の一隅に湧いた雲を眺めている。
連綿と続く歴史の中で誰もが見たであろう雲、
そして自分だけが現在見ている雲。

「生の実感」を得る機会は二つあって、
ひとつは風を感じ、空の青さを感じ、陽光の暖かさを感じること。
そしてもう一つは「死」を想うこと。
生と死は同じものの二つの側面だからだ。
この一首にはその両方が詠われている。

死者の瞳は<わたし>を見つめ、<わたし>もまた死を見つめているのだろう。



」の秀歌たち。


今泉洋子
 木洩れ日の濃淡君とわけ合ひて湧き出る水のかがやきを汲む

清次郎
 山に雲改札に人は湧き出でて かなしみなんてどこにでもある

鮎美
 ふつふつと湧きあがりくる憎しみを それはそれとして今日を過ごしぬ


(敬称略)

鑑賞087「閉」







埠頭の排水口に
甲虫は吸われて吐かれ
もう閉まる夏

  中村成志

浮かんでいる虫の死骸が、水面の上下動によって港の排水口を
出たり入ったりしている、そんな夏の終わりの情景です。
甲虫が波に翻弄されて排水口の内外を行き来する様が、
「吸う・吐く」という二語で的確に描写されてる。
このピタリと語を当てはめるセンスがすばらしい。

初句四音というあまり無い形ですが、ここにはこの語しかハマらない!、
という潔さがあり、結句字足らずより好きな詠み方なんです。
この一首は、三行に分かち書きされ、二句目以降がきっちり定型で詠まれているので、
初読でも戸惑うことなく読めるのではないでしょうか。
私も今回、初句四音の歌を二首投稿していますが、
自分の場合は初句の後に読点やスペースを入れたりします。

定型を意識してさえいれば、初句四音も選択のうち、というお話でした。



」の秀歌たち。


廣田
 夕立が過ぎゆく空を仰ぎ見て傘を閉じればふたりに戻る

久哲
 閉じこんでしまった夜の言い訳にらりるれろとか使えないかな

酒井景二朗
 やはらかく閉ぢたる瞼觸るるごと名も知らぬ實を撫でて行く道

ちょろ玉
 ゆっくりとまぶたを閉じるこれがもう最後のまばたきかもしれないし

北爪沙苗
 物言わぬ常を考え女子力を閉じてしまえばラーメン二郎

雑食
 閉じた目がふたたび開くそれまでの時間を俺にくれたのだろう

月原真幸
 ケータイを閉じて開いてまた閉じる 言ってはいけないことを言いたい


(敬称略)

鑑賞086「貴」

」の秀歌たち。


紫苑
 貴石なと身に沿はざればむらさきの水晶ひとつ胸乳のうへに

千束
 木苺で指先染めた春も過ぎ見送るだけの貴女のうなじ

南葦太
 故郷を失くした人の目指す海 捩れの位置の貴種流離譚

奈良絵里子
 貴重品袋を信用しすぎです 生きてるものは外に出すこと

ウクレレ
 貴婦人でなくていいから闊歩せよ働く女の5カラットの汗

星川郁乃
 ありふれた日々ですわりと平穏なくらしです半貴石のような


(敬称略)

鑑賞085「フルーツ」








フルーツを乱切りにして角ごとの秋を味はふ一人の夜は
  みずき

自分のために乱切りにした果実、柿かリンゴでしょうか、
その食感を確かめながら一人でいる、という歌です。
話し相手がいれば「ゴツゴツしてるね」などとなんとなく言い合って、
気にも留めない日常の一瞬になるんだけど、秋の夜に一人となれば、
ひとつひとつの味や舌触りを、よりふかく噛み締めることになるんでしょう。
乱切りされた果実の角が口に当たるのは誰しも憶えがあることだけど、
それをパッと言語化できるかどうか。

すんなり詠みきられた、スタイルの良い歌ですよね。
もってまわった言い回しも、ゴテゴテした修飾もない。
こんな一首をさっとものに出来たら、短歌の力も熟してきたと
実感できるんだろうな。
果実がほのめかす安易なメタファーに頼らずとも
スマートないい歌は作れるのだ、と反省させられました。



フルーツ」の秀歌たち。


津野
 籠盛りのフルーツの色は鮮やかに白き部屋には白きカーテン

南葦太
 飾らずに食べなきゃ甘いフルーツであった以上は腐るのでしょう

ワンコ山田
 「サイテー」がまだくちんなか蠢いてフルーツ牛乳噛んで飲み干す

揚巻
 おさまらぬものもおさまるべき皿へフルーツはみずみずしい誤解

遥遥
 フルーツはいかがでしょうかフルーツはいかがでしょうか愛があるから

奈良絵里子
 手でむいたグレープフルーツ苦くない ひとふさあなたの口へ入れます

清次郎
 霧の朝 グレープフルーツ専用のスプーンがあった記憶 零れる


(敬称略)
カミソリーフ
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理阿弥(りあみ)



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