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鑑賞098「味」








たとえば今日の意味を問われて手を止めたまま書架の間の静謐にいる
  ひぐらしひなつ
七・七・七・七・七。
こういう離れ業をみるのも楽しい。

いや、「間」を【ま】と読むと区切れは変わってくるんだけど、
ここはあえて【あいだ・あわい・はざま】のいずれかで読んでみたい。
その方が図書館に立ち並ぶ本棚にぽつんと挟まれた感じがするしね。
初読では戸惑うかもしれないけど、全句七音だと分かってしまえば、
よどみないリズムで楽しむことができると思う。
そう何度も使える手法じゃないけど、こんな大胆な構成の一首が、
どうして短歌として読めるのかといえば、
しっかりした「句」感覚に裏打ちされているからだろう。

三句の七音「手を止めたまま」を、「止めた」で句切れば
五音に納めることはできる。
そこで「まま」という接続助詞を次句の頭に持っていくのを
よしとするか、しないか。これは大きな問題だ。

もちろんどんなことにも例外はあるんだけど、助詞、助動詞などが
句頭にくると気持ち悪く感じることが多い。
一方、そういうのを気にしないで詠まれた歌も、題詠ブログにはとても多い。
現代語は音数が多いから、ひとつの句の中におさめづらく、
やむなき面もあると思うが、しかし…。

ここで話はちょっとそれちゃうが、やっぱり一度はっきりと述べておこうと思う。
短歌を三十一文字の数合わせで作るな」と。
四句目が8音になっちゃったから結句は6音にしよう、とか、
そういう<足し算引き算してトータル31音>みたいな詩型でないことは、
他人の作品を多く読んでいれば分かるはずなんだ。
小説や随筆からたまたま見つけた三十一文字を、句切れなどお構いなしに
抜き出したような、そんな歌も見かける。

この一首を実験台にして言えば、
「たとえばきょ/うのいみをとわ/れててをと/めたまま…」
のように詠まれた歌。名詞や語幹がど真ん中でぶった切られた歌。
短歌はそんな風には出来ていない。そんな風には詠めないし、読めない。
「何を分かりきったことを」と感じる人が大半だろうけど、
投稿歌全体を読んで見れば、こんな基本的な主張を
改めてせざるを得ないのも、理解してもらえると思う。

題詠ブログは、初めて短歌を詠むような人からベテランまで、
様々いるのが面白いのだから、別にいいのです、短歌でないような
作品があったってね。短歌観だって様々だろうし。
俺みたいな駆け出しもいるしね。
でも何年も参加しているひとが、そのような詠み方をされていると、
読むのが辛くなってしまうし、一人一人の歌力が向上していかないのだとすれば、
題詠ブログという場が、ちょっと虚しいものに思えてしまう・・・。

まあそれは、歌に関しての議論が行われるような場はネットでは
成立し難いのだから、題詠ブログに限らず「うたのわ」など
他のソーシャルでも、事情は同様なんだろうと思うけれども。
大きなお世話か。へへーん。

ああ、いかんいかん、話が大幅に横道へ。ごめんなさい。
閑話休題。
ひぐらしひなつさんは、三句以下をやっぱり
「手を止めた/まま書架の()の静謐にいる」
とオーソドックスに五・七・七で詠まれたのかもしれない。
これは聞いてみないと分からないけど。
でも解釈は読み手の掌中にあるのだから、理阿弥としては、
この一首は七・七・七・七・七で、大胆に読むこととします。
四句が「まま」で始まるより「書架」という体言で始まるほうが
座りがいいし、間は訓読みの方がいいと思うし、ね。(*^_^*)

みなさんはどう読みますか?



」の秀歌たち。


tafots
 友だちを敵か味方と分けていた子どもが死んでいく月曜日

保武池警部補
 回廊(コリドオ)で 旨味(うま)し酒もて火を呼べよ 追ひても消さじ 舞うて踊り子

酒井景二朗
 足下に見るに悲しき書の雪崩あれば味氣もなき暮らしかな

飯田和馬
 大好きと君が言ってた菓子を食う。普通だったが親しい甘さ

星桔梗
 薄味になったら愛の表れと思ってください(あした)の笑みも

小倉るい
 TOKYOの味がしている唇を妬んで強く強く吸いいる

星川郁乃
 後付けの意味を探している日暮れ 一番咲きの山茶花を切る


(敬称略)

鑑賞097「毎」

お題に対して、どんなアプローチの作品が出てくるか。
題詠の楽しみ方のひとつだけど、そういう点ではこのお題、
ずばり「毎日」とかでも良かったかな、とも思う。
150人がどんな「毎日」を詠うのか。そしてその全体を
見渡した時、何が立ち上がってくるのか。
まあ漢字一字だと、詠む際に幅が広がるから助かるんで、
「たくさんの人が完走できるように」という配慮があるんだろうな。




駅までの道が毎日あることを恨むでもなく月曜の朝
  南野耕平


でも僕が死んでも君の毎日が続いていくと思えば あああ
  牛隆佑


眼差しの寒暖を見ては薄紙をはがし続けるごとき毎日
  北爪沙苗

さあ、「」。毎日。毎月。毎年。
限りなき成長を是とする時代が終わって、
明るい未来はどうしたって描きにくい。
閉塞感の中で、人が大きな世界を詠まずあるいは詠めず、
個の世界、もしくは「あなたとわたし」の関係だけに
引きこもろうとするのは、必然のような気がする。

<終わりなき日常>という言葉が、十五年ほど前のオウム事件以降
よく使われるようになったが、日々が続くこと、繰り返されることへの
現代人の態度がこの三首にもよく現れていると思う。
生活と切り離せない「毎日」という語が、うんざりとした倦怠感や、
諦観、恐怖感といったネガティブな感覚で使われがちなのは、
非常に興味深いことに思われる。



」の秀歌たち。


桑原憂太郎
 毎日が祝祭となる教室のドアの手前で立ちつくしたり

小夜こなた
 毎度お騒がせしますと踵からひび割れてくる冬の始まり

月原真幸
 手袋を買わずに過ごす冬のことたぶん毎年思い出します

清次郎
 毎秒に一京回の計算をさせながら人はまだやわらかい


(敬称略)

鑑賞096「取」

」の秀歌たち。


みずき
 取り取りの歳もて街を行く貌の青き憂ひを美少女といふ

水風抱月
 明け遠き閨に一条蜘蛛の来てわれの小さき死を看取り秘む

猫丘ひこ乃
 刈り取ったドクダミの香は満ち満ちてラジオ体操第二はじまる

酒井景二朗
 用水の取水口よりやや離れ落つる水見つ立ち去りがてに

富田林薫
 取りあげて外の世界のあかるさの未来のような泣き声のする

芳立
〈海嘯溯乱〉 夏の日の七瀬ひかりし名取川名のみ残して浪おそひゆく

新藤ゆゆ
 自販機の取り出し口をらんぼうにまさぐるような恋をしている


(敬称略)

鑑賞095「遠慮」








遠慮なくお持ち下さい張り紙の植木鉢あり主老いしと
  アンタレス

過不足なく、ビシッと決まった表現にするにはどうしたらいいか。

たとえば「張り紙に書かれてありて」などとやっていると、
たちまちに字数が尽きてしまう。
こういったとき「書かれて」などの動詞を、
省く対象として考えてみるのは悪くないと思う。
動詞は重いので、歌の中でいくつも使うと、
どこがポイントなのか分からなくなってしまうからだ。

 「翁」「山」「芝刈り」「嫗」「川」「桃」
 これらの単語を見ると、有名な昔話がすぐに思い浮かぶが、
 物語が展開するには「行く」「拾う」といった動詞が必要だ。
 つまり、動詞は「お話」を動かす大きな力を持っている。
 だから小さな詩型である短歌で、四つも五つも使うと、
 お話があちらこちらに飛んで、うるさくなり過ぎてしまう。
 短歌を始めた当初、
 「AがaしてBがb、CがcしてDがdした」
 のような歌をよく詠んでいたような気がする。

この歌で見ると、「お持ち下さい」は張り紙に書かれた内容なので、
動詞は「あり」と「老ゆ」の実質二つ。「植木鉢があった」「持ち主が老いた」。
これがこの一首の芯であると分かる。
すっきりしていて、とても良い歌だ。

自分の百首を見返すと、動詞過多の歌がちらほらあり、
もっとスマートに直せる可能性がある。
もちろん一つの目安に過ぎないんだけれど。
プリントアウトして、動詞にだけ赤マルつけてみる、っての、
久々にやってみようかな?



遠慮」の秀歌たち。


三沢左右
 飛ぶ車景にリズムを合はせ母を呼ぶ少女の声に遠慮なきかな

水風抱月
 忍び泣く霧の湖畔に影殺し今宵は月も遠慮がちなる

じゃこ
 Trick or Treat?でしょう遠慮なくいたずらしてもいいよ(もぐもぐ)

竹中 裕貴
 遠慮なくあなたのゆびがひらかれる ゆっくりと停車してください

清次郎
 秋雨よ遠慮しないで音立てて降りなよ僕は待ってないんだ

鮎美
 それならば遠慮なくなどと言ふ人の折り目正しき打ち解け具合


(敬称略)

鑑賞094「裂」

」の秀歌たち。


夏実麦太朗
 コンクリの裂け目を埋めるコンクリの裂け目を埋めるコンクリを練る

湯山昌樹
 紙を裂く ただ紙を裂く少年の心に棲めるものを知りたし

南葦太
 うさちゃんの白い頭の裂け目から出てくるのまっ黒のが こわい

飯田和馬
 裂けて散るかもしれないと曇天の君の眉根を注視していた

揚巻
 ふるさとをわすれてひらく綿の花 国境線に裂傷深し

ひぐらしひなつ
 雲裂ける真冬のきわみ死に近きひとの手紙を繰り返し読む


(敬称略)

鑑賞093「迫」

」の秀歌たち。


紫苑
 食といふいとなみもたぬ蜻蛉の迫るいのちの浄くあらなむ

三沢左右
 山際をひたすかに雲迫りたり 堰きもあへぬは涙なるかな

水風抱月
 君宛に綴り損ねた空白が圧迫してゆく一瓶の春

梅田啓子
 迫害を受けたるごとく梔子(クチナシ)の花の()びおり わが留守の間に

コバライチ*キコ
 刻々と夕闇迫る立秋の霞が関のビルは熱持つ

飯田和馬
 クリスマスソング流れて冴える赤 みな迫真の演技に見える

ひぐらしひなつ
 迫害の果ての死いくつ展示して冷えたり切支丹記念館

清次郎
 地球から逃げ去りそうな迫力でエレベーターの▲叩く少女


(敬称略)

鑑賞092「念」

良く分からない、でも良く分かる。
すぐ分からない、でもいい歌だな、ということがあります。
そういう時はたいてい、自分に読み解く言葉が無いのを無念に思いながら、
取り上げるのを泣く泣くやめる、ってことになるんですが、
今回は頑張ってやってみましょう。








記念日を一つ減らして帰る夜のわたし 暦の上では自由
  星川郁乃

記念日を減らす、というのはどういうことか。
たとえば誰かと別れてしまえば、記念日が記念日でなくなる。
あるいは、記念日を過ぎてしまえば、残りの人生で
迎えるであろう記念日の総数は減りますね。
"一つ"減らして、とあるので後者だとみるのが妥当でしょうか。

では「暦の上では」をどう読むか。
この言葉、「暦の上では◯◯ですが、気温の方は~」という言い回しでお馴染み。
「暦で言ってることと、私たちの感覚は随分ちがいますね」ってことだから、
下句は、カレンダーに刻まれた記念日では<わたし>は自由であるはずなのに、
そんな風には感じられない、ということか。

記念日を祝い、時計が零時を回って帰る道。
嬉しいだろうはずが、自分は不自由だ、と感じている。
さて、これ、何の記念日でしょう。誕生日か。結婚記念日か。
もしかしたら離婚した日を、自分の記念日としているのかもしれない。
<わたし>が確かにフリーになったはずの、その日。でも。

さあ、みなさんはどのように読みますか?



」の秀歌たち。


tafots
 ブラジャーの既成概念くつがえす脱がされ方を思い出す夜

水風抱月
 初蝉に滾る命脈念念と燃え上がりゆく 夏遠からじ

コバライチ*キコ
 念仏を唱うる僧の広き背に西日の影が伸びて這いおり

酒井景二朗
 今一度無念の人の窗に置く矢車菊に虻よたかるな

夏樹かのこ
 残念賞のティッシュをもらう空白の手帳も別に埋めなくていい

富田林薫
 どこまでも記憶のようなこの森にあなたであった植える記念樹

北爪沙苗
 押し花の念の浄化を願いつつ読みさしの本を閉じる音聞く

揚巻
 夜汽車いざ継ぎ目を順に越えながら念じて とどけ とどけ とどけ


(敬称略)

鑑賞091「債」

」の秀歌たち。


みずき
 債券を売らむと決めし携帯の感触冷ゆる春に凭れぬ

酒井景二朗
 ささやかな負債のあれば毎日は悲し翼々選ぶ安酒

鳥羽省三
 債鬼待つ店子の如く静もれり桜田門より見上ぐる皇居

牛隆佑
 ローソンが故郷になる/肉体の全てが負債でも抱きしめる

富田林薫
 ノルウェーの森の静かに雪ふるように債務時計の刻まれてゆく

揚巻
 刺しあとをのこしていった蜂はどこ夏の負債もいつかきえると

清次郎
 債務整理ブームは終わり草原に司法書士たちが根差す早暁

鮎美
 晩秋の銀杏並木の燃ゆる黄よ書債ある身はゆつくり歩む


(敬称略)

鑑賞090「そもそも」






泣くほどのことかよそもそもシドニーは地球だ、火星ならばまだしも
  小林ちい


そもそも、と言い出したなら最後まで責めておしまいなさいよ、時雨
  星川郁乃

両歌とも他者へ投げた台詞のなかの一語として、お題を扱っています。
これは「そもそも」が持つ<上から目線>感を和らげる方法として、
とても良いやり方と思えます。
「そもそも~」と話しかける対象を、
読者から第三者へとズラしているわけですから。

「そもそも世界は」「そもそも愛とは」と詠んでみたときの
説教臭さをどう消そうかと歌人は苦心するわけですが、
他に「そもそもXXは」のXXを卑近なものにしてみたり、
「そもそも」という語が持つ音の面白さを主眼に詠んだり、
いろいろな工夫があるのだと思います。

大上段にかまえて詠むとたいてい歌って上手くいかないですよね。



そもそも」の秀歌たち。
見事にお題が料理されています。


久哲
 初めからそもそも彼は飛べるのに週末にさえ籠から歌う

中村成志
 靴底で砕いた蝉は
 生物のそもそもの水
 滲みもせずに


富田林薫
 そもそもと切り出した後の静寂のコーヒーカップにかすか秋色

龍翔
 さようなら、ティッシュペーパー。さようなら、そもそもあなただったものたち。

飯田和馬
 もそもそもそもそもそもそもそもそうそもそもそううそもそ 起きなよ

清次郎
 やさしさもさびしさも波の形して広がっていく そもそもは海


(敬称略)

鑑賞089「成」

」の秀歌たち。


浅草大将
 雲一つゆく冬空の青によし成らざるとても望みをば見む

酒井景二朗
 月光に成敗されて自轉車で下る道端白萩流る

小林ちい
 玄関に姉のトランク 明日には成田へ向かう姉のトランク

鮎美
 生まれつきおまへは三女姉のための振袖を着て成人式へ

T-T
 光合成している子らが跳ねている市民プールを過ぎ帰宅する

きたぱらあさみ
 So good communication. あたしたち平成うまれピコピコ育ち

久野はすみ
 ぐずぐずと成り下がりゆく一夜かな柿の実ひとつテーブルにあり


(敬称略)
カミソリーフ
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理阿弥(りあみ)



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 歌歴:08年より。
 口語でも文語でも。

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